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6月初め、高千穂町秋元支部へスギヌッキーさん、ヨシダケ、ハルスギで行ってきました。
スギヌッキーさんが、秋元支部の仙人さんのところで田植えについてのラジオの取材をされるとのことで、ヨシダケとハルスギも喜んで便乗し、3人とも1泊させていただきました。 この二日間は雨となり恵みの雨でしたが、今年は冬から春にかけて雨があまり降らず、水量が少なくて田植えが遅くなっているようでした。 仙人さんの自宅リビングの窓からは、いつも四季折々のこのような景色が見える そして気温は高千穂でもさらに寒く感じるほどでした。山は霞がかったまさに仙人が住んでいそうな幻想的な様相。 あの「田舎に泊まろう!」ではありませんが、グリーンツーリズムのつもりなので、着いたその日は自家栽培の苗の植え替えをお手伝い。 そして、秋元は初めてのスギヌッキーさんとも合流し、まもなくして宴会。外で高千穂牛のバーベキューの予定だったそうですが、この日は肌寒い日、すき焼きとなりました!そして、新鮮な鹿刺し、山菜の天ぷらなど、高千穂の恵みをたくさんいただいたのでした。 仙人さん家族以外にも、秋元支部メンバーがこの写真の後からも他に3人増えていきました。孫もいる方なのに良きパートナーと結婚できて、これ以上の運はもうないと語る仲睦まじいご夫婦。そして都会からUターンし、この秋元地区だけでなく高千穂の町全体の活性化や、まちづくりの為に頑張っている、熱く語る若き青年のみなさんと、この高千穂の自然の懐の大きさ、そしてその地域の中で生きる力も育まれてきた話、これからの山里や町の活性化のことなど、話ははずみ夜も更けていきました。 翌日、仙人さんの紹介でこの秋元滞在の間に素敵な出会いがありました。仙人さんのご近所が実家で、ちょうど田植えのお手伝いにご家族で帰省中の石坂あゆみさんです。 あゆみさんは、農業雑誌「地上」に発表された2006年度「第54回地上文学賞」を受賞され、高等学校の国語科教諭を10年間勤めて退職され、今は作家修業中なのだそうです。今後がとても期待される方です。 前日に農業雑誌「地上」に掲載された受賞作品「碧い谷の水面」を読むことができ、ラジオの取材は、そのあゆみさんとお父様のたかあきさんにお願いすることになりました。私もアシスタント?(傘持ちしただけ)になり、取材現場に同行。 収録中の河川リポーター・スギヌッキーさんとたかあきさん、景色に見とれてマイクが濡れないように傘を当てられず、役にたっていないアシスタント(^^ゞ(左)。打ち合わせ中のスギヌッキーさんとあゆみさん(右) たかあきさんの自然で堂々とした受け答えのやりとり、そしてあゆみさんの言葉をじっくり選んで語るというお二人でした。スギヌッキーさんの進行とまとめ方もすばらしい!前日から泊まりで談議した甲斐がありましたね(^。^)。 このラジオのレポートは、お知らせが直前となってしまいましたが、6月10日(日)午後15:00~15:55 MRTラジオ「みやざき川物語」で放送されます。宮崎の方はぜひ聞いてみて下さい。(この取材から見えてきたことについては、ラジオ放送前は良くないので放送後に追記します) <放送後の追記> たかあきさんたちは、人手が足りないところや、他の方がもう耕作されてないところも、田んぼを守るために耕作しているとのことでした。耕作放棄は自然破壊になり、この棚田を採算がとれなくても風景や文化の継承として米を作っていくとのことでした。次世代へもその棚田文化を継承していくという課題があると語られていました。 その次世代への棚田文化の継承を受けて、この山里を離れたところからみるあゆみさんは、「子どもの頃あたりまえで変わらずにいると思った自然が、あたりまえで無くなって価値のあるものと気づかされた。父の言う文化の継承は、先祖が荒れ地を田畑に切り開いてきたことを忘れず、田んぼや米を中心に一年が回っていること、地域の方はあたりまえのように毎年を過ごしていること。この地から離れている今の私は山村文化を伝えていくこと、方法を考えていきたい」と、答えられました。あゆみさんは、後に紹介する作品でその役目をされており、今後も取り組まれていくことと疑いません。 この日は、機械で植えられない部分の田植えを少しだけお手伝い。 娘さんお二人の御家族で帰省して田植えの応援(左)、久し振りに着た登山用の合羽でハルスギも田植えを少しお手伝い(右) 田植えの取材のあと、仙人さんの蕎麦畑だった後にもちきび、もちあわの苗をつくるための種まき作業を初体験! 種が均等に蒔かれるように工夫して蒔いている(左)、箒で種を土の中に入れ込み、その後を鍬で押さえる(右) 自家製の取れたての野菜なども朝昼にいただき、帰りにはふき、うど、そして秋元のおいしい山水などおみやげにいただいたのでした。 このような自然豊かな山里あたりでも、驚くべくことに水量が減ってきているのだそうです。 千年経っても水が枯れない森を作ろうということで2000年に「高千穂町わくすず千年樹の会」が結成され植樹を続けているそうです。「わくすず」とは「水が湧き出す場所」という意味だそうです。 スギヌッキーさんが、以前ラジオ取材したこの会の工藤けんいちさんが言われた「人作りと山作りは共通している。目の前の成果にとらわれずに目に見えなくても運動を続けることが大切」という言葉がとても印象的だったとのこと。 杉林の果たす役割は、大きいと感じさせられた二日間でもありました。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 石坂あゆみさん作「碧い谷の水面」を、ご本人にも了解をいただきましたので紹介します。 少年の頃、両親と離れて祖父母のもとで姉弟と生活していた長男である主人公。都会で大学へ通っていたが、祖母の死をきっかけに、大学を1年休学してでも独り取りのこされた祖父と暮らそうと2人の山里での共同生活が始まる。成長した主人公がそこで感じ、学んだものとは・・・というあらすじの小説。 あゆみさんの受賞のことばが、とても心に響くものでしたので、その中から一部を抜粋させていただきます。 「・・・ふるさとは少しずつ形を変えていくということは、充分にわかっている。それでもやはりふるさとは、美しくて温かくて、おまけに何でも知っているから恥ずかしい。そして時に寂しくて、思い出さない日はあっても忘れてしまうことは絶対なくて、気がつけば心の奥の一番深い場所に大切にしまわれている。 私達の祖先は一体どこからやってきたのだろうと時々思う。何を思い、何を求め、幾重も山を越えて水の豊かなこの地へと辿り着いたのか。土地を耕し四季の移り変わりと共に日々を送り、山の神を畏れ氏神を崇め、水神を祀り自然の恵みに感謝し、何百年もただひたすら、山だけを眺めて。 今年も夜神楽の季節がやって来る。小さな山里に人々の祈りや感謝の心がいっぱいに溢れ、笛や太鼓の音色とともに初冬の山々に溶けていく。 こんなふるさとを描いてみたい、という気持ち一つで筆をとりました。・・・」 この小説の山里のモデルとなっている秋元の四季が慈しむかのように描かれ、高齢化の農村、後継者がいない兼業農家、山里の行事とそれを守り支える人々、老人世帯の近所での支え合い、加齢とともに家族から農業の仕事を取られていくお年寄りの悲しさ。祖父が蜂飼いを始めた心情、子や孫たちのお年寄りへの思いや、祖父のいる山里に住めない父親の心情、祖父と主人公の心の通い合いがよく伝わってきました。最後のところは、明るい印象を残す場面で表現され、思わずうるっときてしまうのでした。 右上の写真は、作品の中にでてくる「蜜蜂のうと」。杉の木を切って巣箱のような物を作り、蜜蜂が住みついてくれそうな山を見つけては据えていくという。蜂蜜を秋口に採集するが、彼らが冬を越せるように、食料としての密は残すそうです。 この自然豊かな山里や、その中での暮らしや文化を守り続けてきたご家族、地域の人々との関わりから育まれ、研ぎ澄まされてきた感性が光る作品に思えました。 この作品の中で、雪降りしきる日、老人同士の語らいの場面での杉の話が。その部分を一部抜粋 話は、地域の者で共同で杉の苗を植えた山のことにおよんだ。将来杉の値段が高騰することを夢見て、祖父達は険しい山道を登り杉の下刈りに何度も出向いた。自分が生まれるずっと前のことである。しかし三十年経った今でも、一向に値段は上がる気配がない。寧ろ下がる一方だ。「いずれ杉山は売ろうかと思っとる」 祖父が窓の外を眺めながら言った。また雪がちらつき始めた。 「・・・・・そうか。おれはまだ少しでも息子や孫達に残してやろうかと思っちょるけどな」 「出来ればそうしたい。でもうちは浩一が帰ってここに住むことはねえ。二束三文の値でもよかろう。誰も手入れせんで荒れ放題になるよりはな」 「・・・・・お前は山をそんままの形で残したい、って前言いよったとにな」 「・・・・・すまんな」 蒸し団子はすっかり固くなっている。僕と靖は何か身につまされるような気持ちで黙って聞く他になかった。そうじゃね、とも、それはやめた方がいいよ、とも言えなかった。 そして小説の終盤、主人公が大学の復学の為山里を離れる祖父との別れの場面 玄関先を振り返ると、祖父が初秋の柔らかい陽射しを浴びながら立っていた。 「じいちゃん、」 「何か。はよ行かんとバスに間に合わんぞ」 「杉林、今はまだ売らんで」 それだけ言うのが精一杯だった。祖父は、 「わかった、わかった」 と何度も頷き、手で、早く行け、と追うかのような仕草を見せた。子供の頃、遅刻しそうになるといつもそうやって送り出してくれていた。 涙がこぼれそうになった。 しかし、祖父のためにも、ここで泣いてはいけない。 「頑固者の生き方を大切に、だ」 そう自分に言い聞かせ小さく手を振ると、祖父も小さく振り返してくれた。 ※青色の字の部分は、月刊誌「地上」(JAグループ家の光協会)2007年1月号より抜粋 <おまけ> あゆみさんのご実家の庭にある「蜜蜂のうと」。杉の木の中をくり抜いて作ってある?この写真をとっている間にも蜂が行き交っていました。 これらの「蜜蜂のうと」から採れた蜂蜜をあゆみさんのお父様から幾度かいただいたことがあります。今までに味わったことのないとても濃厚な蜜の味! 娘さんが書かれた「碧い谷の水面」での祖父が ”うと”に寄せていた思いを読んだあとは、ますます味わい深い濃厚な蜜の味となりました。
by sugidara-miyazaki
| 2007-06-09 23:58
| 秋元便り
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