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今年も秋の収穫の後、夜神楽の季節がやってきました。高千穂町秋元地区の夜神楽に通い出してから、なんと13年になります。今年は、ミヤダラメンバーで楠ダラさん、杉鼓さん、杉詩さん、杉宙くんらが初めての夜神楽見学です。
神楽の舞い、笛、太鼓の音色や神楽歌も堪能できるように、今回は動画も、なんと7つアップしましたのでぜひご覧ください。 毎年秋元神楽は11月の末の土日にかけて三十三番の夜神楽を奉納し、秋の実りに対する感謝と翌年の豊穣を祈願するものです。冬の夜を徹して行われる神楽は、夕方に始まり三十三番を舞い終わるのは翌日、日が高く昇った頃となります。 秋元神社に寄ったものの今年は秋元神社での宮神楽に間に合わず、その後お世話になる仙人さん宅に向かう途中、まだ薄暗いこの日のお月様は特に神秘的な満月に見えたのでした。 左は神楽宿(夜神楽は民家を宿として行なわれる)の楽屋入りの式。夜神楽は神楽宿の表座敷に設けられたこの二間四方の神庭(こうにわ)↑で奉納される。 今年も夜神楽を通しで見ることができず、秋元神楽三十三番全体の流れを知りたい方はぜひこちらをご覧下さい。 高千穂の夜神楽三十三番の中には、神話などの物語性をもつものと、タマシズメなどの呪術の法をとりいれたものとがあります。 神楽の舞人は、奉仕者という意味から「ほしゃ殿(どん)」と呼ばれ、神の舞と人の舞との二種類があります。神の採物は杖と幣と扇で、これは神威や神徳を表わすもので、人の採物には鈴と榊と扇とが用いられ、これは物忌み、清めにあるといわれています。 くり広げられる神々たちの素朴な舞、邪気を祓って冴えわたる鈴の響き、六調子の太鼓と意味深い神楽歌の調べ。 仙人さん宅でお食事をいただいた後、私たちが神楽宿に着くと、もうすでに「杉登」(五番)が始まっていました。 ◆「杉登」は新しくこしらえた神殿に神が杉を伝わって降臨してくるというお神楽。杉を神の依代として神庭を清め、入鬼神(荒神)の降臨を招く鎮魂の舞。 神面は神を表すものであり、「おもて様」と呼ばれて神殿に並んでまつられ、神酒や餅などが供えられる。おもて様を使用する時には、長老または神官が口に清めの榊の葉を挟んで拝礼の上取り下ろして舞い手に渡し、舞い終わればまた神棚にまつられる(左) 月刊杉web版7号1月杉話にも夜神楽と杉の関係が書かれていましたが、日本書紀に須佐之男命が自らの髭を抜きはなち杉となし、胸毛を抜きはなち桧となして・・・とあったというのを思いだしました。杉、桧などが御神木として鎮守の森に植えられるゆえんであり、この「杉登」の前にある「鎮守」(四番) は、神が杜に降臨し鎮まり給うことを表現した舞だといわれます。 この「杉登」が終わる頃には日もとっぷりと暮れ、神楽宿には夜神楽の雰囲気が漂っていました。三番神降ろし、四番鎮守、五番杉登りを合わせて式三番といい、式三番が終わると休憩に入ります。 ここで、煮しめがふるまわれ大根、里芋、椎茸など味がよく染みて美味しい。ほしゃ殿(神楽の舞い手)が見物衆にお神酒をふるまい、しだいに寒くなってきた身体も温まるのでした。 神楽宿の表戸は、多くの見物衆がいる為このように開けっ放しで、夜半は冷え込んでくる。 ◆「地固」(六番)は、太刀を持った舞いで、太刀は水の象徴。耕地を固め穀種の発育を祈願する、いわば「農」の根源に触れる長時間を要する重要な番割。四人のほしゃ殿が太刀先を向けて舞う。国造りを表わしています。 「地固その1」(六番)( ↓ 動画)大国主命の国造りの舞 「地固その2」(六番)( ↓ 動画) 山峡の急傾斜の地に田畑を切り拓いて生活してきたこの地方の先祖の人々にとって、田作りや村づくりの困難は想像以上のものがあっただろうと思うと、この地固の神楽は意味が大きいと感じて見てしまいます。 内注連の周囲四方には、美濃紙を二枚重ねて梅に鶯、松に日月、紅葉に鹿、鳥居などをかたどった「えりもの」とよばれる紙切り飾りが飾り付けられる(左) 夜を徹しての見物衆の中には、様々に集落の老若男女、近郷から招かれた親類縁者、神楽に合わせて都会から帰省した若者、遠方の関東などからも訪れている見知らぬ旅行者たちがいて、ほしゃどんの舞と六調子の太鼓と意味深い神楽歌の調べに引き込まれ、神楽宿には熱気がこもります。 深夜に見物衆に「おじや」がふるまわれます。今回はその場におらず機会をのがしましたが、毎年変わらぬそのおじやの美味しさは忘れることのできない秋元ならではの格別な(根菜が刻まれて入っておりいい味をだしている)味です。 ◆袖花(一四番)は、別に木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の舞ともいわれ、縁結びの願神楽といわれる理由がよく理解できる逸話があります。長くなるので割愛します(^^ゞ。 ニニギノミコトと木花開耶姫とその姉の石長姫(イワナガヒメ)にまつわる伝説には、木花(このはな)と石長(いわなが)という二神の対比がみられます。日本の文化風土が石の文化であるよりも木の文化であることを象徴しているように思われて、この伝説には日本人の美意識や生活の歴史が反映されていて興味深いものがあります。 ◆岩潜(一五番)↓は、はじめは四人潜り、次に三人潜り、二人潜り、最後の舞いあげは白刃を二本手に持ったまま前回転などあり、刃はつぶしてはあるものの真剣であるとのこと。神楽三十三番中最も体力と技術とを要するお神楽です。 寒気の厳しさが増す真夜中に舞われ、四方割りの鈴の清けさに緊張感がみなぎって睡魔もはらわれてしまう。真剣を持っての舞は実に妙技であり、まさに真剣である。 ◆五穀(一六番)は、五穀(米・稗・粟・豆・麦)豊饒を祈り、穀神となった五人の舞人が米、稗、粟、豆、麦を地に蒔くお神楽です。 右手に鈴、左手に五穀の中の一種をお膳にのせて神庭いっぱいに広がり色彩豊かな舞 明け方前になると御神体(一七番)が始まり、男女の神様が二人そろって新穀で酒をこし飲むほどに酔うほどに夫婦になっていき、男女二神の抱擁としておもしろおかしく表現されます。眠気が襲う頃ですが、その所作に神楽宿は大爆笑となります。 他にも八鉢(二〇番)というアクロバット的な太鼓の上で逆立ちをするこの舞いは、限られた舞い手にしか出来ない太鼓を使った妙技で見所のある舞です。 白々と夜が明けてくる頃、これからフィナーレとなり、岩戸神楽に入ります。 ◆柴引(二三番)、伊勢神楽(二四番) ◆手力男命/たぢからお(二五番)、鈿女命/うずめ(二六番) 手力男命は、天照大神が天岩戸に隠れているところを探りだし、天岩戸を開くために思案する舞(左) 鈿女命は、面白き身振りが神楽の起源となる舞といわれおり、笑みをたたえた女面に御幣と日の丸の扇を持ち、袖を巻き上げて優雅に舞われるこの舞は、男神の力強さを象徴した手力男命の戸取とは対象をなす神楽です。 ◆戸取(二七番) 文字通り天の岩戸を開く、三十三番中力のこもる、また最も人気のある神楽の一つ。 「戸取その1」(二七番)( ↓ 動画) 「戸取その2」(二七番)(←クリックすると動画になります) 戸に手がかかると思わず見ている私たちも力が入り、戸が上がった瞬間には力強い感動がこみあがってきます。 ◆日が高く昇りはじめた神楽宿のまわりにひびく太鼓と笛の音色( ↓ 動画) ◆舞開/まいひらき(二八番) 天岩戸が開いた歓喜に満ちた舞。ほしゃ殿全員が御幣を手に賀歌を歌い、それに合わせて日月を両手に手力男命が舞う歌舞。 高千穂神楽三十三番中最も美しく感動的な時間であり、高千穂神楽の神髄はこの「舞開」にあるともいわれています。 「舞開/まいひらき」(二八番)←クリックすると動画になります。 ◆日前/ひのまえ(二九番) 天照大神が天岩戸より出現されたことを祝うお神楽(左) 外注連(そとじめ/庭先に竹や乗り柴で囲った注連)と内注連とを結ぶ四本の細引の綱を「みどりの糸」という。柴荒神は外注連に準備された乗り柴に乗って、この「みどりの糸」を伝わって神庭に入ってくる(右) 夜神楽を描いている方がいました(右上写真)。後で気づいたのですが、描いている方は「神楽を描く」という夜神楽の油絵や版画と紀行文を鉱脈社より出版されている弥勒祐徳氏です。 消えゆく文化を必死で守り続けている夜神楽が県下に百ヶ所近くあり、その夜神楽を描き続けて30年余になられています。夜神楽も過疎に悩む山間部で舞手を失って次々と消えていく現実があり、何とかしてこの神楽を絵にして夜神楽とは何かを残したいと続けておられるのでした。 ◆注連口/しめぐち(三二番) 入鬼神が「みどりの糸」の日月をとって世界を照らすように注連の前で舞う。 ◆雲下/くもおろし(三三番) 紙飾りを取りおろす舞。神楽終わりの舞 「雲下/くもおろし」(三三番)←クリックすると動画になります。 夜神楽三十三番の終章にふさわしい演出で、最後に内注連を取り外し二日一晩夜を徹して舞い明かされた高千穂秋元神楽は終わりを迎えます。 最後に、ほしゃどんたちによる見物衆への紅白のもちまきが行なわれて、この年の神楽は幕を閉じたのでした。 神楽宿の正面戸外の庭先につくられた「外注連」(そとじめ)ー山の神の依処とされる(左)、神楽宿には「棟飾り」と称して、この地方特有の千木を置いた屋根に魔除祓いの弓と御幣が立てられる(右)。 白い割烹着をきた集落のご婦人たちが、美味しいお煮しめやおじやで見物衆をもてなし、歓迎して下さる。集落あげての祭りごと。 この高千穂・秋元神楽の写真や動画など、最後まで見ていただいたみなさんの中には、高千穂・夜神楽を自分の目で見に訪れ、体感したいと思われた方がいたのではと思います。 私自身なぜ毎年のように高千穂夜神楽に心惹かれ、見物衆となり訪れるのか?自分の故郷は他にあるけれど、まだそのもっと昔にさかのぼった日本人としての原点、遺伝子に関係しているに違いないという思いで通い続けていました。言葉に上手く表現できないでいたところ、ぴったりとあてはまる高千穂神社宮司である後藤俊彦氏の文章がありました。以下引用させていただきます。 「・・・神楽宿の中だけには『むら』のぬくもりと神人和合の不思議な世界がひろがり、人をして遠い魂の原郷へといざなう。そこでは外来のよそ者も一夜の里人となり、故郷を喪失した”魂の巡礼者”もまた神と祭りという日本の最も根源的ないとなみの中に自己生命の回帰と出発点とを見出すのである。 ・・・敗戦と戦後の高度経済成長社会は、このような伝統的『村』意識を根底から破壊してきたといわれている。しかし高千穂の夜神楽と、それを求めて訪れてくる人々の表情をみるかぎり、共同体への帰属意識というものは人間の本性に根ざした生命の核のように思われてならない。 ・・・『緑の糸の日月』には生命はあるが支配はない。多くの人々が神楽に何を求め、高千穂の神楽が何によって支えられてきたかを知ることは、これからの社会を考えてゆく上で決して無益ではないと思う。」 ☆★写真:杉宙、杉詩、50sugi、harusugi ★★参考文献:夜神楽三十三番 ーひむか新書5
by sugidara-miyazaki
| 2007-12-09 23:58
| 秋元便り
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